Monday, April 30, 2012

私たちの思い出

最近、心理学の教授と話しました後、こう思いました。

人間(にんげん、human)の思い出からの判断(judgement based on memory)、
よく不合理(irrational, absurd)ですね。
感情とほかの目的があるから、あまりlogicalじゃないです。

私たちは、自分で決定をする時、それか、
コメントを言う時、よく思いでからですが、あまり
気付きません( do not realize when we judge others)。

私は、中国に成長しました。他の国と同じ、私の国と
たくさん国の関係は、複雑です。(特に、近い国。)
でも、思い出と感情は、この関係がもっと複雑に
しました(makes it even more complicated)。
家にいる時、よく
テレビでいろいろな政治の番組を見ましたけど、
内容は、大体自分の国の思い出からの判定でした。
この自分の(戦場の時)の思い出、
ずっと言いましたが、かなしくなただけ、
現在は意味がありませんでした。
「どうしたらよくなりますか」の事は、
テレビであまり言いませんでした。
残念です。

でも、近年、よく外国人は中国語を話せるから、
どんどんどんどん
ほかの声を聞きました。

ほかの声は、私たちの声の鏡(かがみ、mirror)です。
このコミュニケーションは
必要だとおもいます。本気の議論(ぎろん、discussion) は
いろいろな意見がある方がいいでしょう。
そして、将来のために、いいです。

この方、加藤嘉一(かとうよしかず)は、今
中国に人気があって、よくテレビの
番組で出します。中国語が上手です。
凤凰电视台の“锵锵三人行”
のシーン少しあります、見てください。
今回は、映画から、政治まで、そして、
一つ歴史のトピクで、
日本と中国の関係を話しました。
毎年、このトピクは皆の悲しみです。
私は本当にこのトピクについての言葉が
疲れたと思いますけど、
去年は日本人のコメントがあったから、
この番組で、聞きました。

(加藤さんは、黒い
シャッツを着ている方です。)
(このサブタイトルはどうですか、
日本人を書きましたか。分かりません)


このトークは、テレビ番組から、
意見が違うと思っていたら、気にしないて下さい。

思い出も、感情も、
主観的(しゅかんてき、subjective)ですね。
その事を操作(そうさ)するは、簡単です。
(it's easy to manipulate such things)

よく、国と国のけんかは、
人と人のけんかと同じ、
正義(righteousness)と不正義の事ではなく、
感情とプライドについての事だかな。
「私はあなたを傷(きず)つけりました(hurt)、
どうしたら良いですか。」
の問題じゃなくて、
どのくらいをしますか。」
の問題です。これは難しくて、
主観的の問題だと思います。
双方(そうほう、both sides)は、
人間だから、
どうでも不満(ふまん、feel wronged)です。

「どのぐらい」の議論は、
正解(せかいright)の結論(けつろん conclusion)
がありません。千年の後も、
同意(どうい、agreement)が出来ないかな。

じゃ自分の態度(たいど,attitude)は、
もしかして、
選択(せんたく、choice)からが出来ます。

人生は短(みじか)いです。
不愉快(ふゆかい、discomfort)が嫌いだったら、
あまりそういう事を考えない方がいいかな。
憂鬱(ゆううつ、depression)にならないために。

国と国のけんかは、多分ずっと
続きます。どちらもほかの
難しい問題があるから。

でも人と人の関係は、シンプルでしょう。
生命が終わる前に、歴史がないような、
皆は愛をするはどうですか。
新しい、愉快(pleasant)な歴史を作れるように、
頑張ります。

だれでも島じゃないです。(no man is an island)

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